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東京地方裁判所 昭和63年(合わ)77号 判決

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

押収してある覚せい剤一包(昭和六三年押第七五二号の1)及び覚せい剤二袋(同号の2、3)をいずれも没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  昭和六三年三月二八日、台湾中正国際空港からキャセイパシフィック航空第四五〇便の飛行機に搭乗したが、同航空機内で、同行したアメリカ人自称ポール・クロスと相互に意思を通じた上、税関長の許可を受けずに覚せい剤を密輸入しようと企て、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶約三〇〇〇グラム(昭和六三年押第七五二号の1ないし3はその一部)を隠匿した私製腹巻を衣服の下に着用して携帯し、同日、千葉県成田市三里塚字御料牧場一番地の一所在の新東京国際空港に到着し、同航空機から降機して右覚せい剤を本邦内に持ち込み、もって、覚せい剤を輸入するとともに、これを隠匿携帯したまま、そのころ、同空港内の東京税関成田税関支署旅具検査場を通過し、もって、税関長の許可を受けずに貨物(覚せい剤)を輸入し

第二  法定の除外事由がないのに、ホー・カム・シングと共謀の上、同月三〇日、東京都千代田区紀尾井町四番一号所在のホテル・ニューオータニ八五四号室において、前同様の覚せい剤結晶約一九九九・五グラム(前同号の2、3はその鑑定残量)を所持し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(補足説明)

一  弁護人は、被告人には本件輸入及び所持に係る覚せい剤について、それが覚せい剤であるとの認識がなかったものであるから、故意がなく、さらに、判示第二の覚せい剤所持については、ホー・カム・シングの単独所持であって、被告人にはそもそも所持がなかったものであり、また、被告人には営利の目的もなかったと主張し、被告人も当公判廷でこれに沿う供述をする。

1  そこで、まず、覚せい剤の認識、故意の点について検討する。被告人が昭和六三年四月二日以降に捜査官に対してなした供述及び公判廷における供述を通じ、本件覚せい剤を輸入して所持するに至った経緯、及び犯行が発覚し逮捕されるに至った経緯について述べるところは、要旨次のとおりである。

すなわち、被告人は、昭和六三年三月一〇日ころ、被告人が出演していた台北市内のナイトクラブで、一月程前から知り合っていて台湾の暴力団組織の関係者と付き合いのあるポール・クロスと名乗るアメリカ人の男から、「ある物」を日本に運ぶように頼まれたが、その際同人から、被告人が止宿先のホステルに置いていたパスポートや現金を預かっており、右の依頼を承諾すればこれらを返してやるが、承諾しなければこれらを返さないし、被告人が当時親密に付き合っていた台湾人女性シャリ・ガオにも危害を加えると言って脅された。そこで早速止宿先のホステルの自室に戻ってみると、確かにベッドの下に隠しておいた筈のバッグの中のパスポートや現金がなくなっており、また、クロスが予告していたとおり、ガオも見知らぬ男に付け回されたと言って怯え、被告人の所へ訴えてきたため、被告人としては、同女と被告人の身の安全を考えてやむなくクロスの右申し出に応ずることとし、その旨クロスに伝えた。クロスからは被告人が運ぶべき品物は化粧品であると聞かされていた。同月一七日ころ、被告人はクロスから日本に一緒に行く人物として、李と名乗っていたホー・カム・シングを紹介された。その後、同月二〇日ころ被告人はクロスに呼ばれて再びホーらと会い、日本に行くため同月二三日発のキャセイパシフィック航空のビジネスクラスの席を取るように指示されたが、その日が満席であったため、切符の予約はホーがするといって別れた。この時にクロスから、日本ではハイクラスのホテルに泊まるので、日本に行く時はスーツを着てビジネスマンらしく振舞うよう指示され、また、被告人がスーツを持っていないと言うと、被告人の着るスーツはクロスが貸してやると言われた。同月二三日ころ、クロスは被告人が日本に着て行くスーツやワイシャツ、ネクタイ、スーツケース等を被告人の止宿先に届けてくれた。その後、同月二七日になって、クロスから明日日本へ出発する旨の電話があり、翌二八日、被告人はタクシーで迎えに来たクロスとともに台北市内の国内線空港に行き、そこから更にバスで国際線空港に向かったが、その途中、クロスから日本に持って行く化粧品の入ったバッグを空港の保税コーナーで受け取るよう言われてその引換証を渡され、また、スーツの上に着用する丈の長いコートを手渡された。被告人はクロスの指示に従って保税コーナーで紺色のショルダーバッグを受け取って飛行機に搭乗し、右ショルダーバッグを荷物棚に乗せておいた。なお、飛行機内ではクロスの座席は被告人の座席から離れていたようであった。離陸後しばらくするとクロスが被告人の席にやって来て、保税コーナーで受け取ったショルダーバッグを持ってトイレに付いて来るように言い、被告人が付いて行くと、トイレの脇で、クロスは被告人に対してバッグの中にはベスト様の物が入っているので、トイレの中でこれをシャツの下に着けるように指示した。被告人はバッグは手に持っていくと言って断わったが、クロスは、中に入っている化粧品は日本に持ち込みができない商品だから税関に見つかれば逮捕はされないもののボンドしなさいと言われる品物だ、だから被告人の身体に着けてわからないように税関を通過しなければならない。この品物は日本でボンドする訳にはいかず東京に必ず持って行かなければならないから身体に着けるようにと執拗に言い、逆らえば被告人の身体に何が起こるかわからないと言って脅してきたため、これに従うことにした。被告人がトイレに入ってバッグを開けてみると、バッグの中には、乳白色で不透明のビニール袋に包まれた、所々に脹らみがあって、外部から触った感触では粉状の物が詰まっていると思われる、長さ約九〇センチメートル、幅約二五センチメートル、厚さ約一、二センチメートルで両端に三か所ずつ紐のついた白布製ベスト(私製腹巻)と、それを固定する二本のベルトが入っており、被告人は着ていたワイシャツの下の方のボタンを外し、これを素肌に直接巻き付け、紐を縛って二本のベルトで締め、ワイシャツを元通りに着て、上からスーツを着てトイレを出ると、待っていたクロスは被告人の服装を見ながら手で触って点検し、これでよいと言って頷き、被告人に座席に戻るよう指示した。やがて飛行機は新東京国際空港に到着したが、被告人は何も咎められずに無事通関手続を済ませ、クロスとともに投宿予定のサンシャインプリンスホテルに向かった。ところが、同ホテルが満室であったため、ホテルニューオータニの部屋が空いていることを確認して同ホテルに宿泊することにし、クロスとともに同ホテルの三九一号室に入った。部屋に入ってから被告人は直ちに身につけていたベストを外しこれを持参してきたスーツケースの中に入れた。一方、クロスは部屋から二回位電話をかけていたが、いずれも中国語で通話していたので話の内容はわからなかった。その後、被告人がシャワーを浴びるためバスルームに入っているときクロスからホーが来たことを知らされた。被告人はクロスと一緒に外出して食事をした後、その夜はホテルで宿泊し、翌朝目覚めた時にはホーは外出していた。被告人はクロスからもう一日日本に残り、ホーを手伝うように言われ、先に台湾に帰るというクロスと別れたのであるが、クロスはその際被告人が着装してきたベストやベルトを持ち帰った。やがてホーが外出先から戻ってきたが、ホーは、ホテル側の都合で部屋を移った八五四号室で、スーツケースの中に入っていた茶色の包装紙で包まれた物を取り出し、鋏で包装物を切り開き、中に入っていたビニール袋五袋から白色結晶を秤で計量しつつビニール袋三袋に移し替えていた。被告人はこれを見てビニール袋の口を手で持ち中に入れやすいように手伝ってやった。作業中に被告人は、ホーから「いい気分がするものだ」と言われて白色結晶を少しなめてみたが、苦い味がして被告人の知っている薬物のコカインではないことがわかった。被告人はテーブルの上にこぼれた結晶が少量あったので、これをホテルの備え付けの紙に包み自分の財布に入れておいた。ホーは詰め替え作業が終わった後、白色結晶の入っていたビニール袋をバスルームに持って行き洗っていた。その後、ホーは三袋に分けたビニール袋の内二袋をスーツケースの中にしまい、一袋を紙袋に入れて持ち、二人でホテルを出てホーの案内でレストランで食事をしたが、先に食事を済ませたホーは、持って来たビニール袋の入った紙袋を被告人に預けて一旦外に出て行き、間もなく戻ってくると右の紙袋を持って再びレストランを出て行った。しばらくしてホーは戻って来たが、手ぶらであったので、紙袋を誰かに渡したのだと思った。その後、被告人はホーに従って電車やタクシーを乗り継いで移動したが、途中でホーが何者かに尾行されていることに気付き二人でタクシーを降りて地下鉄に乗った。それでも尾行されていたので地下鉄から降り、ホーの指示で走って逃げたが結局追い付かれ、警察手帳を示され、被告人の所持していた紙に包んである白色結晶を財布に入れたまま警察官に渡した。これが覚せい剤であることが分かって逮捕され、さらに被告人らの投宿先のホテルでスーツケースの中から白色結晶の入ったビニール袋二袋が発見され、これも覚せい剤であることが判明してホーとともに再び逮捕された。

被告人の供述する以上の事実経過のうち、クロスから脅迫を受けて本件覚せい剤の輸入に及んだという点については、被告人は台北でクロスから脅迫を受けたと供述しながらこれを地元の警察や米国の関係機関に訴え出て保護を求めようとした形跡が全くないこと、ホステルに置いていて失くなったというパスポートや現金の保管方法は、旅馴れた被告人のそれとしては余りにも杜撰であること、また、台北や東京でクロスや被告人としばしば会っていたホーの眼から見て、両者の関係は友人のようであり、決してクロスが被告人を脅しているような雰囲気はなかったと供述していることなど、その信用性を疑わしめる事情が多々存在する。また、被告人が、紙に包んで所持していた微量の覚せい剤は、自分が強制されて運んだ薬物の存在を日本の捜査機関に知らせることにより、自分を脅したクロスに打撃を与えようと考え、ホーがホテルで詰め替え作業をしたとき、ホーの承諾を得てこぼれていたものを集めて持っていたものであり、タクシー内でホーに捨てろといわれたときもホテルに置いてきたと嘘を言ってこれに従わず、警察官らしい人に捕まった際自ら進んで提出したものであると供述する点については、ホーは、被告人がこぼれた覚せい剤を所持していたことを知らなかったし、もとよりタクシー内で被告人にこれを捨てるように言ったこともないと供述していること、本件覚せい剤を詰めてきたビニール袋を水洗いまでしてその取扱いに細心の注意を払っていたホーが、被告人に対し少量とはいえ持ち出すことを簡単に承諾したとは考えられないこと、被告人らを追跡した警察官である証人峯義男の供述によると、被告人は同人が求めたので、やむなくパスポートや紙に包まれた覚せい剤の入った財布を提出したにすぎないと認められること、しかも、被告人は前記のとおりクロスらによる薬物の密輸入を日本の捜査機関に知らせるためにわざと微量の覚せい剤を所持していたと供述する一方で、逮捕された当初は、現に自己が財布の中に入れていた右微量の覚せい剤についてはもとより、ホテルニューオータニ八五四号室のスーツケースの中から発見されたビニール袋入りの二袋の覚せい剤との関係についてもこれを否定するなど、被告人の右供述とは明らかに矛盾する言動をしていた事実も認められることなどから、右微量の覚せい剤を所持した動機について被告人が供述するところはとうてい信用できないといわざるを得ない。

したがって、このように見てくると、クロスが被告人に対して行ったという脅迫の存在そのものが実は疑わしくなってくるのであるが、しかしながら、他方、被告人が犯行に至る経過として供述するところがそれ自体不合理、不自然で荒唐無稽であるとまでは断定することはできず、大筋においては共犯者ホーの捜査及び公判における供述とも一致しているものと認められる上、ガオという女性の存在も認められ、また、被告人とクロスの関係についてのホーの評価も、ホー自身両者との付き合いが浅く、覚せい剤の密輸の方法やその状況等その経緯を十分に知らなかったためとも考えられ、また、被告人においてクロスが台湾の警察と結び付きがあると思われたため警察等に届けなかったと供述するところもあながち全く理由がないともいえないことなどを考慮すると、これを一概に排斥することはできず、その他本件全証拠によっても被告人が脅されたと供述する点の信用性を全面的に否定するまでの資料は見出せないのである。結局、被告人が本件犯行に至るまでの経緯に関しては、被告人の前記供述内容に沿う事実があったと認めざるを得ない。

そこで、以上を前提にして覚せい剤の認識の有無について検討すると、被告人がクロスに依頼されていた行為の内容は、日本に化粧品を持って行くというだけのことであるのに、クロスはこれを被告人に承諾させるために被告人のパスポートや現金を奪った上、これを被告人に返還するのと引換えに右運搬を引き受けるよう強要しているばかりか、右依頼に応じないときには被告人の女友達に対してまで危害を加える旨述べるなど、およそ化粧品の運搬を依頼するにしては余りにも大げさなやり方で、誰しも不審を抱くのが当然であり、依頼を受けた被告人としても化粧品の名のもとに運搬すべき品物に不審を抱き、それが禁制品ではないかと疑って当然と思われる状況が存在していたこと、また、クロスは日本に出発するに先立ち被告人やホーと台北で何度も慎重に打合せを重ね、被告人の着用すべきスーツやコートまで用意しており、日本ではハイクラスのホテルに宿泊する旨聞かされていたほか、今回の仕事にはホーも来日し、クロスも同行する上、飛行機の座席はすべてビジネスクラスを使用するなど、多くの人手と多額の費用がかかるものであることを被告人も十分知っていたものと認められることなどを総合すると、被告人は、台北を出発する以前において、既に、クロスから依頼されて日本に運ぶ品物は、日本には輸入することのできない物で、これを首尾よく密輸することにより莫大な利益の上げられるようなものであるとの認識を十分に有していたものと認めるのが相当であり、さらに、実際に飛行機のトイレの中で本件覚せい剤が隠匿してあるベスト(私製腹巻)を着用した段階では、被告人は、ベストの中に入っている内容物を現に目で見ていないとはいうものの、外部から触った手触りが粉末状の物を平らに固く詰めたものと感じたというのであるから、過去にコカイン等の薬物を使用した経験を有する被告人としては、その形状や感触等から、少なくとも、それが、日本に持ち込むことを禁止されている違法な薬物である、との認識まで持ったものと認めざるを得ないのである。そして、被告人が対象物に関する右の程度の認識の下に、現実に覚せい剤の隠匿されているベスト(私製腹巻)を着用して本邦に上陸し、覚せい剤を輸入した以上、被告人に右薬物が覚せい剤取締法二条にいう覚せい剤に当たるとの明確な認識がなかったとしても、被告人において覚せい剤取締法違反(覚せい剤輸入)罪の故意の成立に欠けるところはないものというべきである。

また、被告人が税関長の許可を受けないで貨物を本邦に輸入する意思であったことが明白な本件において、関税法違反(無許可輸入)罪の故意の成立が認められることも、多言を要しないところである。

なお、被告人は、真実本件覚せい剤を化粧品、なかんずく、バスパウダーであると思っていたと供述しており、その根拠として、昭和六三年一月二〇日に一度来日した際、被告人自身は香港から台湾に行くつもりであったのであるが、香港のホステルで知り合った二人組の男から品物を日本に運んでくれるよう頼まれ、その時には事前にスーツケースに入ったバスパウダーの箱を確認しており、男らの申し出を承諾してその品物を日本まで運んだものの、日本の税関で日本に輸入できないものであると言われ、保税措置とされた経験があること、クロスからは今回日本へ運ぶ品物は化粧品であると一貫して言われていたことを挙げ、被告人としては、今回も同じバスパウダーであると思っていたというのである。しかし、他人から突然頼まれて飛行機代程度のことでそれが何であるかよく分からないものを運ぶなどという危険なことを簡単に承諾するということ自体そもそも疑問であると考えられる上、証拠によれば、前回の来日の際には、被告人は合計一〇二キログラムもの荷物を飛行機の機内預けにしているのに、帰りには二〇キログラムに止まっていることが認められ、この点についての被告人の供述は極めてあいまい、かつ不明瞭であること、税関職員によりなされたという保税措置の理由の説明について被告人の供述するところも一貫しておらず、捜査段階では被告人は保税措置となったことはない旨公判供述と明らかに齟齬する供述をしていることなど、かつてバスパウダーを運んだという被告人の供述全体が甚だ不明瞭で、信用性に欠けるものと考えられるのである。また、仮りに前回運んだ品物が全てバスパウダーであると被告人が信じていたとしても、本件では運搬を依頼された状況や運搬の方法が前回とは全く異なっているのであるから、こうした事情に照らしてみても、本件覚せい剤をバスパウダーであると思った旨の被告人の前記供述はとうてい信用することができないというほかはない。

2  次に、判示第二の覚せい剤所持の事実については、被告人は、ホテルニューオータニ八五四号室においてホーとその後も行動をともにすべく宿泊を継続していたものであり、本件覚せい剤は被告人の所持品も入っているスーツケースの中に入れられて同室に置かれ、被告人、ホーの両名とも部屋の鍵を所持していたというのであるから、右覚せい剤が被告人の管理可能な実力支配内にあり、両名の共同所持にあったことは明らかであって、被告人がスーツケースの鍵のナンバーを知らなかったとか、部屋の代金はホーが負担していたとか、ホーが覚せい剤の保管について責任を持つ意思であったと述べているなどという、弁護人の指摘する事情は、被告人の共同所持を認定するについて妨げとなるものではなく、この点に関する弁護人の主張は理由がない。

3 ところで、営利目的の有無の点について検討するのに、本件の密輸における覚せい剤の量は厖大であり、それによって莫大な利益を上げ得るものであることは容易に推認できるのであるが、前掲被告人の供述によれば、被告人自身はクロスから脅迫されたために不本意ながら本件犯行に加担したものと認められるのであって、この認定を覆すに足りる証拠もなく、他にクロスその他の関係者から被告人に対して報酬の約束があったものと認めるべき証拠も存しないのである。そして、クロスないしその関係者に奪われた現金を返してもらうことが被告人の本件犯行の動機の一要素であったということはできるのであるが、それは本件覚せい剤の取引によって直前間接に財産上の利益を得ることにつながるものではないから、これをもって営利目物があったということはできないというべきである。

4  以上の次第で、被告人には、判示第一の罪の故意の成立に欠けるところはなく、判示第二の覚せい剤の共同所持の事実も認められるけれども、営利の目的はこれを認定するに足りる証拠がないというべきである。

二  弁護人は、被告人の本件覚せい剤の輸入行為は、被告人が、被告人自身及び被告人の女友達ガオの生命、身体に対するクロスらからの現在の危難を避けるためにやむを得ずして行った緊急避難行為であり、また、当時の状況下では被告人には他の行為に出ることの期待可能性がなかったと主張するが、前記認定の程度のクロスによる一連の脅迫があったからといって、被告人及びガオの生命、身体に対する危難が現在していたとか、あるいは被告人に本件覚せい剤の輸入行為に出ないことを期待することが不可能な状況にあったとはとうていいうことができないから、弁護人の右主張はいずれも理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為中、覚せい剤を輸入した点は刑法六〇条、覚せい剤取締法四一条一項一号、一三条に、貨物を無許可で輸入した点は刑法六〇条、関税法一一一条一項に、判示第二の所為は刑法六〇条、覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項にそれぞれ該当するところ、判示第一の所為は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い覚せい剤取締法違反罪の刑で処断し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、押収してある覚せい剤一包(昭和六三年押第七五二号の1)は判示第一の覚せい剤取締法違反罪に係る覚せい剤であり、覚せい剤二袋(同号の2、3)は判示第一の覚せい剤取締法違反罪及び判示第二の罪に係る覚せい剤で、いずれも被告人の所持するものであり、かつ判示第一の関税法違反罪に係る貨物であるから、覚せい剤取締法四一条の六本文及び関税法一一八条一項本文によりこれらをいずれも没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、共犯者らと共謀の上、約三キログラムに及ぶ極めて多量の覚せい剤を私製腹巻のの中に隠匿携帯して本邦内に密輸入するとともに、そのうち約一九九九・五グラムを都内のホテルの客室でスーツケースの中に隠匿所持していたという事案であって、犯行それ自体いずれも極めて悪質重大であることは多言を要しないところ、被告人は、航空機に搭乗後大胆にも覚せい剤を着衣の下に隠匿して巧妙に通関手続を潜り抜け、本邦内に覚せい剤を運び入れる役割を分担して成功させ、本邦で覚せい剤の保管、取引先との連絡及び覚せい剤の詰め替えを担当した共犯者ホーが取引先に覚せい剤を引き渡すのに同行し、その際、約一キログラムの覚せい剤が取引先に交付されており、共犯者ポール・クロスなる者の脅迫を受けたことも本件犯行の動機となっている事情があるにしても、本件覚せい剤密輸の犯行に加担し、背後で暗躍する組織の手足となり、覚せい剤の運び屋として極めて重要な役割を果たしているのであって、被告人のようないわゆる運び屋を担当する人間がいてはじめて本件の如き密輸取引が成り立つことに鑑みると、本件密輸の首謀者が他に存在することを考慮に入れてもなお被告人の刑責を軽視することはできず、しかも、被告人は本件で検挙された後、捜査公判を通じて本件密輸及び所持に係る物件が違法な薬物であるとは知らなかったなどと不合理かつ不自然な弁解に終始しているのであって、こうした事情を併せ考えると、被告人の刑事責任は甚だ重いといわざるを得ない。

してみると、被告人には前科前歴がなく、これまで大過のない生活を送ってきたものであること、被告人には心臓病の既往歴があること、故国にいる両親や親族をはじめ知人その他多くの関係者が被告人の身を案じて上申書を提出したり、被告人の実姉が遠路被告人のために出廷するなど被告人のために有利な事情をすべて斟酌しても、主文の刑に処することはやむを得ないものというべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官池田真一 裁判官川上拓一 裁判官大野勝則)

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